本格的な水村美苗の「本格小説」
水村美苗の「本格小説」(新潮社、2002)を読んだ。
「私小説 from left to right」(新潮社、1995)以来の久しぶりの小説だ。水村は、「小説」が「小説」であるという基盤を懐疑的に、かつ楽しんで書いてきた。
最初の作品「続明暗」(新潮社、1990)は、夏目漱石の死によって未完に終わった「明暗」(1916発表)の続編。365ページの大作を書きついで「明暗」は完結した。「私小説」は、アメリカ暮らしを背景にした、日本語と英語の混じる「横書き」小説だった。
文豪と呼ばれる漱石の傑作に「けり」をつけ、日本近代文学の「伝統」とされる「私小説」そのものをタイトルにした上で、英語と横書きを導入し、「告白する私小説」をせせら笑ってみせた。
そして今度は、「本格小説」である(次は「純文学」だろうか?)。
いずれの作品も、小説の形式と内容の基盤を問う。高橋源一郎のように「これみよがし」の問い方でもないのにも好感がもてる。
さて、その構成は複雑だ。冒頭は、アメリカで3冊目の小説を書こうとしている水村本人と思しき「私」が語り手で、後半の主人公である東太郎の古い思い出が綴られる。そこに、東をめぐる「物語」を聞き付けた元文芸誌編集者が登場し、その東の物語を水村に話す。水村はその「物語」を「本格小説」として発表した、と言うわけだ。しばらくは、元編集者が語り手となり、「物語」を聞いた状況が語られる。そして、上巻の後半からは、その「物語」を元編集者に話した冨美子が語り手にかわり、「物語」は進む。
「物語」自体は、東京の古き良き時代の金持ちによる恋愛と没落のおはなし。そこにお手伝いさんの冨美子と車夫の息子だった東が絡む。最後に語り手は元編集者に戻る。
語り手の変換は、東の「物語」を包み込む効果を生み、作品が単なる「小説」ではなく、「本格的」に考えられた構成であることが見えてくる。
ただ、昼のメロドラマのように開き直った「お涙ちょうだい」物語を、今なお書くためには、このくらいの「芸」が必要なのだろう。もちろん、「物語」だけでも、十分に楽しめる。
娯楽だけでなく、文の芸術である「小説」の不可能性を、自覚しているだけに、水村がこの調子で書き続けることの困難さに思いを馳せてしまう。ただ、一読者としては、次の仕掛けを見せて欲しいところ。ただ、5年以上先なのだろうが。

コメントする