2004年1月17日

謹厳実直なカントの裏側

 カント(1724-1804)は、『純粋理性批判』などの三批判で知られ、生地ケーニヒスベルクでの規則正しい生活や、その著書から受ける印象から謹厳実直な「真面目人間」のように思われている。哲学の対象を経験に限定し、それ以上詮索するのは「信仰」の問題で、学問的でないとした。時間と空間、カテゴリーで枠取りされた範囲を極めること(批判)が哲学なのである。
 と、ずっと理解し、難解なようで不思議な構成と文体の三批判を読んできた。だが、坂部恵の『理性の不安 カント哲学の生成と構造』(勁草書房、1976)という大変面白い研究を読み、カントへの印象が変わった。「カントとオカルト」という意外な組み合わせに説得力を持たせた名著である。
 ただ、こうしてカントを不安や悩みを抱えた人間らしく扱うと、カントの有り難みが無くなるような気はするが。

 坂部は、『純粋理性批判』(1781年)などの批判哲学期に先立つ『視霊者の夢』(1766年)に着目する。この論文は、視霊者スエーデンボリの不思議な事績を検証し、二つの相反する説明を併置する。一つは、物質的世界とは独立した霊的世界を見ることの可能性を否定しえない形而上学的説明であり、二つ目は視霊者を単なる夢想家とする生理学的説明の二つである。坂部は、そこに後の批判哲学における「二律背反」の原型を認め、「オカルト」に心魅かれたカントが、批判哲学で捨ててしまったカントの柔軟さを認めている。
 柄谷行人も共同討議「カントのアクチュアリティー」(「批評空間」第II期19号、1998年)の中で、こう述べている。

80年代の初めくらいに坂部さんの『理性の不安』というカント論を読んで、その頃は全然別の理由で非常に感銘を受けていたんですね。言うも恥ずかしいが、ゲーデル的自己言及の問題を突き詰めたあげく、オカルティズムの問題にぼく自身がかなり引っかかってしまっていた時期だった。そういう点から見ても『視霊者の夢』というのは実に興味深い

 柄谷とオカルトというのも、容易に結びつかない両者だが、謹厳実直(?)なカント以前の可能性を見ていることでは同じである。
 哲学や思考の体系を綿密にたどる作業と、哲学者の試行を綿密にたどる作業は、まったくの別物で、後者から前者の新しい側面が見えてくるのは大変楽しい所業だ。ただ、そこで終ってしまっては、「はあ、そうですか」で、先に進まない。カントに関して言えば、その可能性は柄谷が担っているということになるのかも知れないが、それではあまりにつまらない。
 とはいえ、早速書棚から古びた岩波文庫のカントに手を伸ばしたくなる坂部の本著は、分かりやすいカント入門でもあり、お勧めしたい。他にも講談社学術文庫に同じく坂部の『カント』がある。

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