2004年1月19日

文字への違和感がそのまま作品になった百間の「件(くだん)」

 学校の授業中などに退屈して、教科書の漢字をじっと凝視し続けたことはないだろうか。分かっているはずの漢字でも、見ているうちに形と組み合わせがバラバラになって、やがて何だか分からなくなる。というより、文字としては「理解」はしているものの、何となく漢字として「納得」のいかない不思議な感じを抱いたことはないだろうか? 百間の「件(くだん)」は、そんな違和感をそのまま小篇にまとめた作品だ。

 広野の真ん中に、件(くだん)になった私は立っている。どうしてそうなったか、私にはわからない。ただ「件」とは、身体が牛で、顔だけ人間の「浅間しい化物」であることは、子どものころに聞いていた。人偏に牛だから「件」で「くだん」というわけだ。1921年に発表された作品で、全集では9ページある。
 件の命は3日間で、その間に人間の言葉で、未来の凶福を予言するとされる。もちろん、件になったばかりの私は何を予言するのかさっぱり分からない。一方、件の予言を聞こうと周囲には大勢の人々が集まる。中には友人知人、弟子たちの声もする。彼らの予言への期待が高まるにつれ、私は焦り始める。
 人間でないものを前にした人間たちの勝手な思い込みと、その思いを感じながらも、どうとも出来ない人間でない件の思いは、決してかみ合わない。
 何も予言しない件を前に、不安を募らせた群衆は、件の周りから逃げ始める。予言しないのは、その予言が、「大した予言」で、恐ろしいのではないかと推測したからだ。「何も云わないうちに、早くあの件を殺してしまへ」という息子の声が聞こえ、振り向こうとして前脚をあげると、それをきっかけに全員が逃げ去ってしまう。そして、死にそうな気のしない件は、大きな欠伸をする。
 結末は、あっさりしたものである。しかし、「件」という文字のイメージからすれば、そうそう深刻な結論になるとは思えない。かといって、「めでたし、めでたし」にもならない。「件」という文字をじっと見ていれば分かる。人と牛が密着しているようで分離しているその「不可思議」な感情は、決してドラマにはならない。もっと単純なものだからだ。カフカの『変身』を再読したくなる。

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