2004年1月 4日

幻想的でない百間の夢

 「夢」は、起きたときの気分を暗くさせたり、夜泣きの原因になったり、精神分析の対象にされたりと、本人のコントロールのきかないところで作用する。色つきの夢がどうしたとか、夢は「本当の欲望」を表わしているとか言われても困ってしまうだろう。
 内田百間の夢は違う。幻想的ではない「リアル」な夢を描くのだ。そこに決して、深層心理や象徴などを読み込んではいけない。字のままに読もう。それが、百間の魅力であり、読み方の基本である。

 内田百間『冥途』所収の「花火」(1921)の内容は簡単。全集でも5ページしかない。
 入り江と海に挟まれた土手を歩く私の前に登場する「顔色の悪い女」。入り江から花火があがり、導かれるままに家に入ると、女に「浮気者」と泣き付かれる。しばらくするとすべては幻であったことが分かる。
 過去に関係のあった女性との確執を「文」にするために、夢のような形式を使っただけだ。確執をもっとまじめに表現したら、重苦しいし、相手とのトラブルを生むかもしれない。これはこれで、うまい戦術といえよう。
 内田百間(1889-1972)は夏目漱石の弟子で、「ユーモラス」なエッセイで知られている。今になっても時々、文庫本や雑誌などの特集が組まれるので、それなりに売れている作家らしい。
 小学校の時、今はなき旺文社文庫で「阿房列車」を読んだのがきっかけで好きになった。当時、旺文社文庫は百間の作品を毎月新刊で発行していた。40冊ちかく出ていたはずだ。その後、福武文庫でもシリーズが出たし、現在は、ちくま文庫から「集成」が刊行中だ。
 読書日記代わりに、全集を頭から一編一編読んでいく。

※百間の「間」は、本来「門がまえに月」と表記すべきだが、文字コードの問題から、一部の機械でしか表示されないため、便宜的に「間」を使っている。また、出典は福武書店版「新輯 内田百間全集」から。旧字旧かなは、適宜新字新かなに変更した箇所がある。

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