2004年2月 4日

内田百間をめぐる断章(1)

 百間は、日本語から遠く離れていた。それは、日本語が下手であることを決して意味しない。用法とコンテクストのみに支えられている日本語を上手過ぎるくらいに使いこなした作家として彼はいる。百間は、日本語を言語として書きつづけたのであり、それは「自己表現」とか「告白」には還元できないものだ。そう、書きつづけたのである。

 そして借金の王様百間の借金をめぐる「随筆」は、えてして暗くなってしまいそうな借金に関する、極めて明るい随筆になっている。家庭生活とか、内面の苦悩などという「小説」にありがちな表現は一切ないのが、百間の魅力なのであり、そんなことを書くより、もっと読んで面白いことが書いてある。内面の苦悩や何かを書かないで済ます、手っ取り早い方法として、百間は小説ではなく、随筆を書き続けたのではなかろうか。もちろん、単なるカラ元気で書いた訳ではなく、その明るさは、単なる強がりではなくはっきりとした背景によって支えられている。

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