2004年2月10日

内田百間をめぐる断章(4)

 もちろん、時間とお金の認識をパラレルに並べることは、時間が直線的に流れないことを知ってしまった僕たちには、おもしろいとは思えても、正確だとはいいがたい。しかし、百間がユーモア作家であるとしたら、そのおもしろさは、そこにこそあるのであり、そこに、いま百間を読む意味があるのだと思う。
 Time is money.「時は金なり」。時間は大切なものであり、大事にしなくてはならない。そんな通俗的な解釈とはまったく別の、お金に「大切な」などの余計な意味を付け加えない、それこそ日頃は目にとまらない字義通りの解釈を提示すること。

 また、もしそれ以上に字義通り解釈するなら、ベルグソンのように時間を捉えて、過去とは常に現在に在り、現在において記憶という形で地平をなしている、と言うならば、お金とは常に現在の交換に在り、現在において観念という形で地平をなしている、とも言える。つまり、未来の交換は、決して保証されているわけではなく、すべては現在に掛かっていて、そこから類推するしかない。そして、それは実体的にはどこにも無い。
 とは言っても、こんなふうに百間が考えていたかはともかくとして、「百間を読む」作業は、こんな楽しみが待っている。誰でも知っている「格言(?)」をズラすこと、これを脱−構築と呼ぶのは恥ずかしいけれど、僕はここに、戦前の作家の光を見る。何気ない表現の「明るさ」は、誰にも負けない。この「明るさ」とは、色々なものを照らし、読者をも光らせる「明るさ」のことである。

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