ナチズムと「今」
池田浩士の『虚構のナチズム 「第三帝国」と表現文化』(2004、人文書院)を読んだ。読みながら、記されるナチの文化政策、市民社会の状況は決して70年前の出来事ではなく、今、この日本でも進行している「事態」とパラレルであることに気づき、恐くなる。池田は1940年大津市生まれ。京都大学に勤務し、04年4月から京都精華大学に勤務しているドイツ文学の専門家だ。

本書は、文学や演劇、映画などの「文化」の領域でいかにナチが自らの「世界観」という虚構を、現実化しようと、そして巨大化していく様を資料をもとに描き出す。
同時にナチズムに加担した文学者や芸術家も、虚構で現実と対峙することをやめた。そして、政治家や文化官僚の作りだす虚構=世界観を民衆に前に「現実」として描き出す仕事に全力を投入した。池田はそれを文学や芸術が、作品=虚構を通じて現実と対峙することを止めた「文学・芸術の死」と表現する。
登場する実例は、今でもまったく通用する話しばかりだ。「世界観」を入れ替えれば、今の日本の話しかと誤解しそうだ。
例えば、戯曲では、ハンス・ヨーストの戯曲『シュラーゲター』が取り上げられる。
第一次世界大戦が終わり、敗戦国ドイツはベルサイユ条約で領土や賠償金などの負担を課せられる。『シュラーゲター』は、フランスに占領されたルール地方での鉄道爆破事件を題材にし、爆破犯シュラーゲターを英雄的に扱って、右翼的、反革命的な人々から喝さいを浴びる。そんな中で、既存の政党政治に距離を置き、「無党派」、「政党にかかわりない」と信じるドイツ人たちが誕生し、政党を越えた位置に立とうとした。一方、議会は政治的なおしゃべりの場になり、結果として「第三帝国」の理念として政党政治が廃絶される。
また、ハンス・ツェーバーラインの小説『良心の命令』は、戦闘を肉感的に、具体的に描写することで、頭ではなく身体に訴えかけることに成功する。「ナチズムは、、この感性的・肉体的な作品のなかで、主義思想の次元から、個々人の生活の実感とかかわる次元へと、内面化されたのである」。文学の豊かな機能である内面化をも、ナチズムは世界観の実現のために使ったのだ。
映画も登場する。リーフェンシュタールらはあまりにも有名だが、池田は映画の重要性を以下のように記す。
映画という表現ジャンルは、ただ単に超現実的な事象を描くのに適した領域であるだけではなかった。それは何よりもまず、人間の内面の無意識に可視的な表現を与える可能性を孕んでいたのである。--そして、ナチズムの運動こそは、人間の心理の、「精神」の深層に訴えかけ、それに表現を与えることを意識的に追及した社会運動だったのだ。
つまり、危険な山登りだったり、大スペクタクルによって、あたかも、内面を表現されたように「誤解」させる手段として映画は、運動を展開するナチにとって重用される。
怪奇幻想文学の暗黙の原理を「死者たちを決して忘れないということ、死者たちが生者とともに生きつづけるということ」とし、ナチズムも死者たちが生者たちとともに生きつづけることによって、成り立っているとも指摘する。死者が死とともにまったく別の世界に行ってしまったら、幻想怪奇小説、ナチズムは成立しない、というわけだ。
「芸術批評に関する命令」というのもあった。1936年に宣伝相ゲッペルスによって打ち出され、以後、「芸術批評」は禁止され、作品についての紹介と正当な評価のみの「芸術レポート」だけが認められるようになる。匿名批評も禁止された。「批評」などというものは「ユダヤ的な異質性」の遺物にほかならない、とゲッペルスは断じた。
あとがきで池田は「自分のこの小さな作業が現実によって幾重にも追い抜かれていくのを、ほとんど恐怖をおぼえながらみていなければならなかった」と記している。確かに読み進むうちに、今のこの国の政府とナチの姿は重なって見えてくる。
とはいっても、ナチズムに対するドイツ国民の支持が圧倒的だったわけではない。ナチズムは、キュビズムなど当時の前衛芸術やドイツ表現主義などを「退廃芸術」とレッテルを貼って撲滅キャンペーンを繰り広げた。ところが、1937年、ミュンヘンで開かれた「退廃芸術展」には、200万人もの観客が集まり、一方、すぐ近くで開かれたナチ公認の芸術を展示する「大ドイツ芸術展」は40万人しか集まらなかったという。しかし、ナチズムは連合軍が打倒するまで崩壊することはなかった。
ナチを支持せずとも、倒さなかった=倒せなかったことは、もちろん、日本の戦前体制もあてはまる。そして、それは今の政治体制にも心当たる節はないだろうか。
北朝鮮や中国に対するいわゆる「国民感情」があらわになり、靖国神社のように国と国民の関係が「問い直」され、「反日分子」などという文言が新聞紙面に掲載される。「自己責任」という便利な言葉も流行する。「国益」という言葉もそうだ。いずれも、ちょっと前なら考えられない発想や行動が支持されてしまう。
考えさせられる本であった。
