西洋音楽の歴史とジャズ
学校の授業で、このくらいコンパクトで、分かりやすく音楽の歴史を説明してくれたら良かったのにと思う。岡田暁生氏による『西洋音楽史 「クラシック」の黄昏』(2005、中公新書)である。
中世の音楽から20世紀までの通史。ジャズが1950年代から60年代にかけて、音楽の潮流が一つになった奇跡のような音楽だったことも分かる。
岡田氏は、1960年生まれで、京都大学人文科学研究所助教授。
貴族などの知的エリートが支えていた西洋音楽が歴史を下るにつれ、芸術と娯楽に分裂していく過程をたどる。
激しく大ざっぱに内容を紹介すると、
大きな変化は15世紀、ルネサンス音楽。中世の宗教的な音楽から、「生きていていいのだ、生きて美しい音楽を楽しんでいればいいのだ」という安心感をもつようになった、という。
そして、18世紀、古典派の時代になって、旋律は通奏低音という曲をリードする低音に拘束・規定されなくなり、旋律が自由に羽ばたくようになる。
さらに、19世紀、フランスを中心に音楽におけるマーケットが形成される。「職人的うまさ」から「芸術家の独創性」へ。ロマン派の時代である。
今と同じような演奏会に、聴衆があつまり、彼らを「感動」させるために、演奏や技術の物量作戦(大オーケストラ)で、舞台で喝さいを浴びるスターが登場した訳だ。「高級娯楽産業としての音楽」である。これは、もちろん、今のポピュラー音楽につながっている。「市民に夢と感動を与える音楽」。そう後一歩なのだ。
一方、フランスやイタリアと違って、19世紀ドイツは「深さ」や「内面性」が大事。ドイツ・ロマン派である。純粋器楽曲で、あらゆる現実=具象をこえたものを求める、無限の憧れ、言葉にならないものを表現したい。疑似宗教的である。
しかし、結局は「全神経を集中して粛々と聴くべき「芸術」と、まずは楽しみを目的とする「娯楽」とに音楽史がかなりはっきり分離しはじめる」。20世紀初頭のこと。
(ここまで内容紹介)
歴史の流れだけでなく、モーツァルトやベートーベン、ワグナー、マーラー、シェーンベルクなどなど有名作曲家が次々に登場に、その思い切った説明に、頷きながら読み進めることができる。
現代は、こうした作曲家、名曲を軸に歴史をたどれなくなったと指摘した上で、第二次世界大戦後の潮流を
1、前衛音楽(現代音楽)=実験
2、巨匠の名演=過去の伝統継承
3、ポピュラー音楽=公衆との接点
と岡田氏は分類する。
要は、
1は音楽史の突端で、現代の作曲家が作曲し披露する。難解な現代音楽。
2は、有名な指揮者によるウィーンフィルのコンサートである。過去のレパートリーを演奏し、「クラシック」というとこのイメージが強い。
3は、歌謡曲、ロックなどCDショップで一番面積を占めている音楽。
で、びっくりしたのが、第二次世界大戦後の最も輝かしい音楽史上の出来事は、1950-60年代のモダン・ジャズだという指摘。
1から3のすべてが交叉し、実験と、過去の伝統の継承と、公衆との接点がひとつになり、「芸術」に達したという。登場するジャズ・ミュージシャンは、マイルス、コルトレーン、モンク、エヴァンス、MJQ。しかし、その後、フリーの先鋭的な前衛路線とオーソドックスな娯楽路線に結局分裂した、と。
なるほど。歴史は繰り返す。西洋芸術音楽でも、同じような幸福な時代(19世紀末から第一次大戦のころ)があり、その後、人気のない現代音楽と伝統継承に別れたように、ジャズも、前衛路線と伝統継承路線に別れる。私が聴くのは、2の巨匠の名演=過去の伝統継承。
しかし、ジャズはもともと3で、ポピュラーだったはずなのに、2止まりなのが残念。でも、いわゆるクラシックだって、それしかないときは今で言うポピュラーな音楽だったはず。
ところで、ポピュラーと言っても、それぞれを聴いている人の絶対数は変わっていないかも。音楽を聴く人に占める比率は低下しているだろうけれど。複製技術、媒体が発達したので、数百万枚ものCDが売れるポピュラーが目立つだけで、数十年前、100年前に同じ数に人に同じ音楽を聴かせるのは不可能だったろうし。
ところで、岡田氏は下記のように指摘する。
「創作行為が単なる独りよがりに陥ってしまわないための大前提は、大多数の聴衆が共有する「既知の型=期待の地平」の存在である。型をある程度押さえておくからこそ、そこからの逸脱が何らかの個性や独自性の表現として意味をもち、それとして聴衆にきちんと伝えられるのであって、何の規則も無いところには独創性も存在しない」
シェーンベルクらのことに触れている部分。音楽を楽しむために必要な型に言及している。その型を共有できる人数が増えれば、音楽を楽しむ人も増える。とはいえ、そうそう型を理解する人が増える訳でもない。
で、数だけ増やそうと思えば、分かりやすいメロディーと大きな音、心地よいリズムで身体を物理的に刺激するか、型そのものの敷居を低くするか。いずれも、それ自体は決して悪いことではない。「ジャズ」もそうなのだろう。
そう、だから聴いているのである。型の分からない、型の敷居の高い前衛的な現代音楽は、クラシックでも苦手だ。
いろいろな事で頭の中がすっきりする本である。
最後に、どうでもいいことをいくつか。岡田氏によれば音楽には「適切な聴き方」があるという。例として、モダン・ジャズを早朝に聴いても気分が出ない、とか、ミサ曲をバーで聴くなどもってのほか、などなど。でもちょっと違った楽しみがありそうで、聴いてみたい。特に後者はiPodを持って実践してみようと思う。
あと、「madrigal(マドリガーレ)」が16世紀末に流行したことは、山中千尋さんの同名アルバムの時に知ったけれど、当時の前衛的なジャンルで、結構官能的な歌詞も多かったらしい。ふーん。

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