村上春樹の回想録
運動は嫌いである。スポーツなぞ基本的に野蛮だと思っている(きっと)。まして長距離=長時間身体を動かし続けるマラソンなど論外だ。高校のころ、授業で走らされ、その時間は不幸と苦痛以外の何ものでもなかった。
村上春樹の「メモワール(回想録)」、走ることをめぐるエッセイ集『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋)を読んだ。タイトルはレイモンド・カーヴァーの短編集のタイトル『愛について語るときに我々の語ること』にちなんでいる。
今ではノーベル賞候補とも呼ばれる村上春樹が、数十年間走り続けた記録。それも内省的とも言える内容だ。
途中のグラビアページに掲載された走っている村上の写真、表情も楽しい。月日は過ぎ去るのだ。年齢につれマラソンのタイムが伸び悩むことや、トライアスロンに挑戦し始めるなど、全体に人生の流れを感じさせる本である。だから、「メモワール」。
読んで得たものも多い。知らない世界をのぞき込むようだ。決して、自分も同じことをしようとは思わないが、どこかにそんな人たちがいて、そんな人たちの世界が別にあるのを知るのはいいことだ。
創作の裏話も出てくる。『羊をめぐる冒険』を書いた(けた)ことで、作家としてやっていく決断をし、ジャズ喫茶を閉めたという部分だ。
確かに最初の『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』のまま、創作を続けるのは難しいだろうなあ、と思う。それが彼の魅力だったとしても、数読むような魅力ではない。
最初の2作は本当に読んでびっくりしたし、続けて何度も読んだ。で、その後に読んだ『羊』にはどこかが違う「小説感」がしたものだ。分量も多く、上下巻だった。
すると、『羊をめぐる冒険』がうまく書けなければ、小説家にはならず、2作品だけが残り、そのままジャズ喫茶を経営していた、という事態もありえた訳だ。
ところで、ノーベル賞文学賞は今年もダメだった。もちろん、賞を取ればいいというものでもない、誰かさんたちのように。
さて、以前であれば決して書かなかったような「自負」のようなものを直截的に書いていると思う。
「いずれにせよ、ここまで休むことなく走り続けてきてよかったなと思う。なぜなら、僕は自分が今書いている小説が、自分でも好きだからだ。この次、自分の内から出てくる小説がどんなものになるのか、それが楽しみだからだ。一人の不完全な人間として、限界を抱えた一人の作家として、矛盾だらけのぱっとしない人生の道を辿りながら、それでもそういう気持ちを抱くことができるというのは、やはりひとつの達成ではないだろうか。いささか大げさかもしれないけれど「奇跡」と言ってもいいような気さえする」。
年を取って、弱くなったのだろうか。自分を頑固だとか、詰まらない人間だ、一生懸命書いているなどと、半ば冗談のようには書いていたけれど、達成、奇跡と自分ではっきりと書いてしまうことに驚く。
一方、しっくりきたり、びっくりしたり、しゃっくりしたりしてきた村上独特の比喩が、時々寒く感じられるようになった。これは読んでいる私の変化かもしれないけれど。
「人生について考えると、ときどき自分が浜に打ち上げられた一本の流木に過ぎないような気がしてくる」
「今のところ僕はまだ、音楽とコンピュータをからめたくない。友情や仕事とセックスをからめないのと同じように」
足ふきマットの人生のような意外性がなく、うーん。
駄洒落の本に続いて、気楽に読める本で楽しいけれど、それより、ナショナリズムをテーマにしたという次の長編小説を早く出して欲しいもの。どんな作品か楽しみ。

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