ナチス・ドイツの音楽政策と今
ナチスの音楽政策をたどる明石政紀さんの『第三帝国と音楽』(水声社、1995)を読んだ。
美術の分野でも「退廃芸術」として多くの作家、作品が排除された。その音楽版である。
美術以上に、マーケットというか享受する人の数が多いから美術以上に恐いのである。そして、今のことを考えさせられるのだ。
ヒトラーは合法的に政権を獲得し、公職にあるものの「選別」のため、職業官吏再建法を制定した。要は政治的、人種的に好ましくない官吏を排除するのである。
オーケストラや学校など音楽団体、施設はほとんどが国や州などの公立であり、「「第三帝国」の臣民として「相応しからぬ」者を振り落とすことができたのである」。
昨今の「役人叩き」の風潮を思う。
つづいて、「ドイツの全音楽界から「好ましくない者」を排除すること」になる。
昨今の「ナショナリズム」の流行を思う。
「「情感」だけで音楽を聴くことが大いに奨励された(別にこれはナチ時代に限ったことではないが)。情動性をコケにしたような音楽(20年代のヒンデミットが良い例)は、「頭の中だけの芸当」として攻撃された。とにかく「感情の腕力」で人々を圧倒し、「魂を揺り動かされる」体験をさせ、あまり個別の「思考」刺激しない方が支配する側としては有利なことは確かなようである。ヒトラーの演説で何を言っているのかよくわからなくても、人々はその情動的な演出で熱に浮かされた。」
前の前の首相を思う。
「ゲッベルスはポピュラー音楽を重視していた。(中略)いくら「偉大な音楽芸術の国ドイツ」といえども、大半の民衆が好んでいたのは「軽い娯楽」である。そして、国民にはポピュラー音楽によっていつも「気晴らし」を与えておく必要があった。(中略)あからさまにナチ的歌詞を持った政治的プロパガンダ音楽で人々を年がら年中がんじがらめにするよりも、あたかもヒトラーなぞ存在しないかのような「非政治的」なポピュラー・ソングやダンス音楽で「個人的な息抜き」を保証してやった方が、体制を固めるのに都合がよいことも知っていた」。
前の外務大臣を思う。
もちろん、景気の悪い音楽業界をみるに、そうそう民衆への影響力が今もあるとはおもえないけれど、もともと「サブ」だったり、「カウンター」だったのが、アニメでもゲームでも、「軽い娯楽」を時の権力が称揚するのは、ちょっと気になるということか。
しかし、「気晴らししてて何がいけない!」と真剣に怒られるのだろうか。
