ビーチ・ボーイズの憂鬱
小説家で音楽ジャーナリストのジム・フジール(Jim Fusili)さんの『ペット・サウンズ(Pet Sounds)』(村上春樹訳、新潮社)を読んだ。また村上春樹さんの翻訳である。それより長編小説(一説によると「ナショナリズム」がテーマだという)を、はやく出してほしいもの。
若くして大成功しつつも、問題を抱え続けた、The Beach Boys(ビーチ・ボーイズ)のリーダー、Brian Wilson(ブライアン・ウィルソン)の内面をアルバム『Pet Sounds(ペット・サウンズ)』(Capital)でたどる、壮大なディスク・レビュー(?)だ。
フジールさんは1953年生まれ。イタリア系アメリカ人の家庭で育ち、探偵小説で知られるが「Wall Street Journal」でポピュラー音楽の寄稿もしている。
『Pet Sounds』は、1966年に発売された、いわば「コンセプト・アルバム」の先駆け。動物と戯れるジャケット写真が印象的。
ライバルだったビートルズ(The Beatles)の『Sgt. Peppers's Lonely Hearts Club Band』(Apple Records)の前年に発表されたのである。
ところで、ヒットしたシングル曲を集めて、その他大勢曲を組み合わせてアルバムを作る風習に馴染みがないと、「コンセプト・アルバム」の有り難みが今一つ分からず、衝撃度が弱くなる。一貫したサウンドとコンセプトのないアルバムというのは、昔のカラオケ屋のLDのようだ(?)。
さて、中学、高校生のころ、ほとんど音楽を聴かない禁欲的(?)生活態度だったため、同時代の音楽どころか、ビートルズやビーチ・ボーイズについては、黄色い潜水艦や「サーフィンU.S.A」の能天気なフレーズしか知らなかった。折角なので、『Sgt. Peppers's Lonely Hearts Club Band』と『Pet Sounds』をCDショップで買ってくる。
『Pet Sounds』の音楽的構成については、フジールさんの説明を読みながら、実際のCDを聴き、学ぶ。そして、歌詞を英語と日本語で理解する。愛がすべてを覆い尽くす。恋人とだけでなく、親子でも何でも愛はある。
文言をたどっていると、ずっと昔に忘れた筈の感情が、面白いように涌いてくる。だからどうした、と言われれば、それまでだけれど、まあ懐かしい「心持ち」だ。
気持ちは分かる(フリー・ジャズより素敵だ)けれど、しっくりこない感じ。特に歌詞を聴いていると、赤面してしまう。やはり、苦手だ。
もちろん、潜水艦やサーファーと違って、どこかしら意味の重みを背負っているので、カラオケ・ボックスでは歌いにくそう。
「ものごとが昔のようであればいいのにと、君は思っている。そこでは人生はもっとずっとシンプルなものだった。感情は込み入ったものではなく、人々は単純率直だった。ところが今、君は変化することを求められている。ところが君は変化や成長なんか求めちゃいない。すぐにそこまで来ている新しい世界に直面することを、君は望んでなんかいないのだ」。
後書きで村上さんは、人間を2種類に分ける自説の『カラマーゾフの兄弟』を読破した人と、しない人になぞらえて、「『ペット・サウンズ』を好きな人と、好きじゃない人」とまで持ちあげる。当初売れなかったこととあわせ、ビートルズの『Sgt. Peppers's Lonely Hearts Club Band』がヘミングウェイで、『Pet Sounds』は、フィッツジェラルドだ、とも。
要は、後者の再評価がすすみ、徐々に前者の精彩が失われたということ。つまり、ビートルズよりビーチ・ボーイズ。
読んだかどうかなら、はっきりしているけれど、好きか嫌いかだと、「どうでもいい。どっちでもいい。どうとも言えない」層が発生する。私はそれである。

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