2008年6月 2日

畳の上で水泳を練習する=音楽本21連発(中)

 音楽を言葉で表現するのは、とっても難しい。言葉を使わないという意味では美術も同じ。でも眼で見ることのできない「音」は、言葉にしていいのか、さえも分からない。
 ただ、音楽について書いてある本を読み、その音楽を聴きたくなったとすれば、その本は最低限の使命を果たしたと思う。そして、さらにその人の音楽をもって聴きたくなったりすれば、万々歳だ。

8、吉田秀和『私の好きな曲』(ちくま文庫
 ちくま文庫が大好きである。ほぼ毎月新刊を買っている。一度に3冊も4冊も買ってしまい、支払いが1万円近くなることも時折。
 吉田秀和さんは、1913年生まれの音楽評論家の大御所。何といっても中原中也にフランス語を習い、小林秀雄や大岡昇平ら交友があったのだから、歴史上の人物といっていいほど。何十冊にも及ぶ個人全集が出版されている音楽評論家が他にいるだろうか。
 そして嬉しいことにちくま文庫が「吉田秀和コレクション」と称して、アンソロジーを組んでくれている。
 この『好きな曲』につづいて、『世界の指揮者』、『世界のピアニスト』が出ている。まだまだ続いて欲しい。
 内容だけでなく、表現やたとえ、断言や逡巡、どれも滋味が溢れている。そして、その作品を聞きたくなるのだ。
 さて、本書はベートーヴェン『弦楽四重奏曲嬰ハ短調』作品131からベルク『ヴァイオリン協奏曲』(ある天使の思い出に)まで26曲を、どうして好きか、なぜ好きか、他のと比べてどうなのか、楽譜も交えながら解説する。ついついHMV渋谷店の同じフロアになったクラシック・コーナーで何枚もCDを買ってしまう。
 もちろん、これまで聴いた楽曲、演奏の経験から生まれてくるその言葉は、「聴きたくなる」といったレベルを超えていて、それだけでも楽しめる「作品」だ。

9、ロラン・マニュエル、吉田秀和・訳『音楽のたのしみI 音楽とは何だろうか』(白水社uブックス

 全4巻のシリーズの最初。フランスの作曲家、ロラン・マニュエルさんに若いピアニスト、ナディア・タグリーニさんの対話で、テーマに沿ったゲストが登場する。もともとはラジオ番組で、1947年に出版された古典である。
 「耳に快いような仕方で音を組み合わせる芸術(技術)」、「音楽は音と時間の戯れ」といった音楽の定義から始まり、楽器、リズムや調整などの要素、ソナタやフーガといった形式など、「入門編」といった項目がずらりと並ぶ。
 半世紀前の著作とは思えないくらい普通に読める。吉田秀和さんの翻訳の力であろう。それに何といっても「クラシック」音楽なのだから。

10、伊福部昭『音楽入門』(全音楽譜出版

 9と同じく古い本といえば、これ。原著は1951年刊という。これは復刊。
 伊福部昭さんは、1914年、北海道・釧路生まれの作曲家。怪獣「ゴジラ」のテーマ音楽で知られるが、日本的なテーマや楽器を使った管弦楽曲や舞台音楽が有名。西洋一辺倒のクラシックの世界に民族的な要素を取り入れることに力を注いだ。東京音楽大学の学長もつとめた。2006年没。
 「音楽のように直覚的な、また、ある意味では極めて原始的でさえある感覚を基礎とする芸術の美しさ」を感じるための教育の重要さを訴える。
 そして、自分は反省させられるのだ。「この頃は自動車の中で音楽を鑑賞する流行さえ現われ始めていますが、これは。もはや、音楽を音楽として受け取ることのできない明瞭な証拠」と。変に意味を読み込んでしまい、純粋な鑑賞から遠ざかっている、とも。
 はい、本なぞ読んでいないで、ちゃんと音楽を聴きます。というわけで、またCDショップに走るのである。

11、小沼純一・編『武満徹対談選 仕事の夢 夢の仕事』(ちくま学芸文庫

 また筑摩書房。ただ、これを読んで作曲家、武満徹(1930-1996)の作品を聴きたくはならない。ただし、武満さんの人柄や語り口は「耳に快い」。
 対談相手はすごい。黒柳徹子、杉浦康平はともかく、ジョン・ケージ、ヤニス・クセナキス、キース・ジャレット、ジョージ・ラッセルである。秋吉敏子、寺山修司、谷川俊太郎、今流行の大竹伸朗も。黛俊郎と岩城宏之との鼎談も収録されている。
 戦後文化の一番楽しかったであろう時代の記録で、羨ましい限り。そんな同時代を生きていたかったものだ。でも、武満の音楽は苦手である。いつか好きになれるであろうか。

12、小澤征爾・武満徹『音楽』(新潮文庫

 武満徹さんの対談相手は、世界のOZAWAである。最近も椎間板ヘルニアで舞台をキャンセルしたことがニュースにもなった。原著は1981年。
 文中、武満さんの「音楽家という職業は、世の中にそんなに必要でない、いや、なくても生きていける仕事をして生きていく人なんだからね。だけど、われわれ音楽家にとっては音楽がなきゃ生きていかれない、仕事を選んだからね(笑)」という発言が印象的だ。
 この「音楽家」に、かなりの職業は当てはめることができる。こわい、こわい。
 しかし、文化や音楽に対する政府や世間の無理解や理不尽は1970年代から何も変わっていないよう。小澤さんの、「べらんめぃ」のような口調も素敵である。

13、高橋悠治『高橋悠治 コレクション1970年代』(平凡社ライブラリー

 高橋悠治さんは、1938年東京生まれの、作曲家、ピアニスト。『ことばをもって音をたちきれ』、『たたかう音楽』などの著書でも知られる。水牛楽団を主宰し、演奏活動を続けている。
 さて、厳しいのである。「音楽は多くのジャンルに分断され、実用性と認識の進化とたのしみをかねそなえるべき音楽は、教養と娯楽の両立しない二つの分野にわかれ、音楽技術は特殊化して専門家の私有物となり、聴衆は批判的役割をうばわれ、音楽企業に組織され動員される孤立した消費者に過ぎない」と、身もふたもない。ごめんなさい。
 現代の我々だけではない。「だれよりもヨーロッパ音楽の貧困化に手をかしたにせ音楽家(「モーツァルトはにせ者だ」--クセナキス)のシニカルな笑い声がきこえるようだ。人間中心主義の劇場はモーツァルトをこえることは決してできない」。すごい。
 「音楽家は貴族や協会の職人であることをやめ、独立して音楽という商品をうりあるくことになった。商品としての音楽で問題にされるのは、人間的関係をはなれた、物質としてのひびきの構造である」。
 さて、6月19日には都内でコンサートがある。演奏を生で聴いたことはなく、切符を買って、物質としてのその響きを楽しみにしている。

14、鈴木淳史『愛と妄想のクラシック』(洋泉社新書y

 一般的な評論とは違うけれど、寝転がって、読むにはぴったりな本。鈴木淳史さんは1970年山形生まれの評論家(?)。「私批評」を標榜している。
 これを読んでその音楽を聴きたくなるという点からは、はるかに遠い。一歩間違えると聴きたくなくなりそう。鈴木さんには、さらに踏み込んで「私小説」にちょんさと取り組んで欲しいもの。

15、平林直哉『クラシック100バカ』(青弓社

 どれも笑えるというか、自分の足下をすくわれそう、というか痛快な1冊。100種類のバカを紹介している。クラシックにまつわる偏見、観客、評論家などなど。100というのがいい。娯楽であり、楽しいはずのクラシック音楽をつまらなくしている「バカ」というわけだ。
 平林直哉さんは1958年、鳥取県生まれの音楽評論家。
 ちなみに、ほとんどの「バカ」は、同じようにジャズ、文学、美術などなど何にでも応用できそうだ。こわい、こわい。

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