2008年12月29日

批評とPOPのすき間に(1)

 「批評」という言葉で想起されるのが、「ジャズ批評」だったり、「批評空間」だったりすることはまずない。小林秀雄や吉田秀和、柄谷行人らの著作を思い浮かべるのが普通だ(?)。
 もちろん、いずれにも興味を抱かない人が圧倒的多数派で、批評という言葉に反応するのは、ボリュームとして数千人(数百人?)くらいだろう。

 一方、「POP(ポップ)」という言葉で想起されるのは、まず「ポピュラー(大衆)」の略語。音楽や絵画、文学などの芸術だけでなく、哲学にもくっつく20世紀後半に隆盛を極めた文化である。

 さて、POPという言葉には、Point Of Purchase (Advertising)という意味もあって、店頭など買う場所に掲出される広告のことだ。
 この場合、本来はピー・オー・ピーと発音されるらしいが、「店員のオススメ! 今年の一押しはこれ!」という小さなカードだったり、フラッグだったりする。新聞やテレビ、交通機関などの広告より、はるかに商品に密着した「分かりやすい」広告だ。

 批評とは、文化や芸術を論じて、時代や社会、歴史に切り込んでいく「クリティック」、文字通りクリティカル(危機的)な所業で、その成果に対し、「その作品を読みたくならない(聴きたくならない)」と言っても無駄である。
 もちろん読んで(聴いて)みたくなる批評もあるだろうけれど、めったに出会えるものではない。
 そもそも「宣伝文句」ではないし、1回しか上演されないコンサートの批評を読んで、聴きたくなったとしても、もうそのコンサートは終わっている。
 小説や絵画、CDなど、批評終了後時間的余裕のある芸術に、批評はぴったりだ。よって、文学と美術に「批評」が栄えるのは当然。

 さて、POPに対して、感想だけだとか、評論になっていない、とケチをつけるのもナンセンスだ。「これでは、売れない!」と店長が、POPを書いた店員を怒鳴るのとは訳が違う。
 字が間違っている時は客も指摘した方がいいかもしれないが、お店は、手に取って商品を買って欲しいのであって、POPが時代や社会、歴史に切り込む必要は全くない。財布をヒモを緩めて欲しいだけである。
 09年春に休刊する「広告批評」は、広告に批評性を見出した、とっても80年代的な試みであったことが分かる。

 このことはさておき、

1、批評
2、ポピュラー・カルチャー
3、POP広告

の三者が素敵に出会う場面は無いのだろうか。

 芸術が特権的だった時代、つまり単純な上昇志向と教養主義、啓蒙主義の時代が遠ざかり、あらゆるものが同じ平面に並び、「ポスト・モダン」という言葉が、様々な意匠を組み合わせた建築の分野でまず使われた言葉であることすら忘れられた昨今、1と2(3)の間にあるすき間をもう一度覗いてみたいと思う。(つづく?)

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