2008年12月30日

ポストモダンとは何か

 ポスト・モダンとは、何だろうか。

 「近代(モダン)のあとに到来した時代を意味するこの語は、1970年代に、とりわけアメリカの建築、デザイン批評の分野で使われはじめた。ポストモダンあるいはポストモダニズムという語はこの場合、近代主義への反動、つまり、芸術をその構成要素に純化すべきという形式的な次元での要請と、芸術史を芸術そのものの純粋化の過程とみる歴史的な次元での進化論への反動として用いられた。この種の言説はまた、高度資本主義社会において露呈する種々の文化的矛盾の源泉を、近代芸術の実験主義の極端な展開に見出だす、ダニエル・ベルのような新保守主義のイデオローグの言説としばしば重なりあう。」(『現代思想を読む事典』講談社現代新書、今村仁司・編)

 これに対して、こうした言説は、高度資本主義社会の諸矛盾を隠蔽するものであり、「近代」の基本原理を正確に把握していないという反論がユルゲン・ハーバーマスによって展開されるが、ジャン=フランソワ・リオタールは「ハーバーマスが擁護する啓蒙の原理は、人間の漸進的な解放といった信念を前提にしなければ成立しえず、この種の信念そのものが問いなおされざるをえない現状の考察から(中略)「ポストモダン」の概念を改めて検討する。」(同書)

 リオタールは、『ポスト・モダンの条件』の中で「19世紀末に端を発する、科学、文学、芸術の活動規則に影響を与えた種々の変化以後の文化の状態」をポストモダンの定義とする。そして、「この変化を近代の信念を形成した『大きな物語』の危機との関係で分析する。つまり、近代の認識の言説が、人間主体の解放といった種々の大きな物語によって合法化されたのに対して、ポストモダンの知はこの種の大きな物語の無効性、ないし大きな物語への不信によって定義される。だが、この大きな物語の無効な状態とは、世界を構成する多種多様で、相互に異質な諸要素が相互にくり拡げる複数のゲームのような様相を呈するが、この環境のさなかで、再び大きな物語を要請するのではなく、相互の異質性に敏感に反応しうる能力を習得すると同時に、大きな物語とは別のゲームの規則が創案されねばならない。」(同書)

 ここで、注意しなくてはならないことは、こうしたゲームが一種記号のお遊びのような様相を呈し、いわば、「何でもあり」の状態を招いたことだ。本来、ポストモダンは、今までの歴史を全て背負いこみ、そのうえで出発するものであり、過去との断絶と過去の忘却を取り違えてしまったところに、大きな過ちがあるといえよう。ゆらぎ、ズラす、脱−構築、逃走、リゾーム、モダン、そうしたあらゆる言葉、それだけがきわめて通俗的な形で流通し、無責任な誤解と曲解に満ちた状況を招いたことは記憶に新しい。それだからこそ、今になって、反動とも言える動きがやすやすと頭をもたげてきているのだ。

磯崎新の場合

 ここでは、建築家磯崎新を紹介し、ポストモダンをもう少し突っ込んで考えてみる。
 1985年に開催された「つくば博」における「つくばセンタービル」だ。ここには、銀行やホテル、劇場があり、この国家的事業のモニュメントともなる設備だ。一昔前なら、何か大きな様式、あるいは奇抜ないかにもモニュメントにしかならないような建物が立ち、それは国家を我々の前に可視化し、統一の中心点として機能するのであった。しかし、ポストモダンはそうした統一化、中心化を拒否する。

 磯崎新の特徴は、自分の全ての作品に自註を付していることだ。この中で磯崎新は「この建物は、なにものかの不在、を表現している、と語るといぶかしく思われるだろうか。」「この場所の成立の由縁からすると、ここは、おかみ、公、国家、天皇といった上位の概念が、容易に君臨するはずなのだ。これを不在にみせる手だてはあるか。そんなからまわりするような自問自答からこの計画がはじまっている。」「建築家は(中略)国家に依頼され、その国家の肖像を描きだすように指示された、と理解した。にもかかわらず、明瞭な国家の貌が、実在の王のように浮かびあがらない、いや、あっても浮かばせたくない、というアンビバレンスにおちいっていたのである。」

 その時、磯崎新は建物の中心に沈んだ楕円形の広場を作り、その中央に水落を配置し、そこに流れこむ水ともども視線も地中に吸い込ませてしまう。「中心を空間にすること、空間のなかへむかって、下降し、消滅していくようなメタフォアをとりだすこと、といった反転した空間をつくりあげること」を試み、成功する。

 同時に、磯崎新は周辺や建物に過去のあらゆる様式、その断片を引用し、いわばコラージュの手法を取る。コラージュはある一つの中心、ある一つの主題、ある一つの特徴的な参照、ある一つの源泉あるいは絶対的な始まりなどに対する拒否、放棄であり、言い換えるならば、「不在」を示す方法でもある。「その断片は多くの場合、歴史的な様式から引用されているのだが、いったん引用されると、その原典はかつて組みこまれていた文脈から引きはがされ、新たに設定されている文脈へ送りこまれている。(中略)この建物の場合は、直接的で、ほとんど具象的な引用で終始しているのは、長編小説にも似た複雑な構成をもつために、細部すなわち断片が、勝手に強い喚起力を発してもらう必要があったからである。」「だが、その断片の具象性をもった声高な表象は、決っして一貫せず、同時に一点に収斂することもなく、あの不在の一点の周辺をひたすらに旋回するだけなのである。」
 建築の様式は、特に国家の威容を表すものとして機能してきた。バロックにせよゴシックにせよ、最近ではナチズム、天皇制ファシズムにせよその国家を前面に打ち出す効果を持ち、それは、一つの様式をかならず生み出していた。しかし、それを裏切ること。これは、非常に正しい戦略、それも、きわめてまっとうにモダンを突き崩していく戦略ではなかろうか。

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