2008年12月31日

空間そして平面それも楽観的に(1)ことの起こり、ロココ

 ことの起こりは今からおよそ300年前、18世紀初頭のフランスに立ち戻る。16世紀からつづく絶対王政は、荘厳な様式、バロック様式を頂点として、その巨大さ、堅苦しさゆえに、民衆はそれに対し、畏怖と圧迫を感じながら、何か固定的で静的な共同体の中にいた。しかし、いわゆるブルジョワジーの台頭。そしてまた、もはや固定的様式、それも何か一つの威力を示す様式に対し飽き、それに変わる新しい様式(スタイル)を求めていた。そう、それは絶対王政の消滅と軌を一にして生まれ、そして葬り去られた様式(それを様式と呼んで良いなら)ロココの誕生であった。
 ロココとは何か。その前に、18世紀とはどんな時代であったかを確かめておく必要がある。

 「<神>を主体とする歴史が可能であった17世紀と、<人間>を主体とする歴史に支配された19世紀のはざまにあって、そうした一元的時間過程におさまりきらない多様な諸要素の空間的布置が問題とされた世紀−−それが18世紀であった。」(樋口謹一編『空間の世紀』筑摩書房)

 多様な諸要素の空間的布置とはなんだろうか。18世紀は何か絶対的な価値観の時代ではなく、多様な差異の分布する異質的空間への視線、つまり相対主義の時代であり、超越的な統一性によって一つの「物語」は、もはや作ることはできず、差異を差異として認め、多様な差異を含みながら変化しつづける関係のネットワークをそのまま分類する、そんな時代であった。
 そして、この時代は植民活動もかなり進展し、人々はそれと同時に盛んに旅行をし、いく先々の文物を比較して、それを伝える手紙がヨーロッパ中を行き交った、そんな時代でもある。こうして空間が開かれ、人や情報の往来する時代はまた、新しい様式(スタイル)の誕生する時代であった。それは当然、多様な要素を分類し並べる、そのことに潜まれた一つの「精神」を確実に反映させた様式(スタイル)を生む。それが、ロココなのである。

 17世紀のバロック様式が、権力誇示的な装飾趣味をもち、「雄大」な美であるのに対して、ロココ様式は、東洋趣味も交えて、絶対王政の没落をも暗示する「繊細」な美なのであり、ロココとは、ルイ14世時代の過度に誇張された威厳や、後期バロック社会の堅苦しさを、もっとくつろいだものにかえた芸術を指し、バロックへの反発として捉えることができる。
 また、バロック期における肉体を備えた神のイメージが、ロココ期には、「神」という観念へ抽象化され、感覚上の経験から観念が分離されるときにのみ、世界を知ることが出来るといったジョン・ロックの思想を生むことになる。ロックにおいて、知識は大きさや、数、運動といった概念と同じであり、こうした概念を「基本的特質」として、これら相互の連結、一致、矛盾に関する知覚こそが「知識」であるとする。一方、物体が我々に与える、色彩、音、味わい、香りといった知覚可能な印象を「二次的特質」として、その感覚器官が感じた経験から観念を分離して、初めて世界を知ることが出来るというのである。

 ロココは、その「二次的特質」にあふれた様式だ。そしてそれは、何か大様式ではなく、飾りつけの一様式、装飾のみを目的とした小様式であり、入り組んだ、鮮明な自然主義的細部の戯れであった。もはや、おびただしい円柱や重々しい光と影などの造形性は放棄され、内側に閉じていくような細部を持った「繊細な線状の生き物」がそれに取って替わったのだ。ロココの芸術家たちは、絶妙な手口によって「二次的特質」を記録する。と言うより、様々な要素を手際良く配置するといったほうが正確であろう。

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