2009年1月 5日

空間そして平面それも楽観的に(3)多様性と相対主義

 1920年代、この時代もまた多様性と相対主義の時代であった。
 第一次世界大戦は終わり、敗戦国ドイツを中心に、現実とは確かに固定されたものではない、観点によってまったく異なったものとして立ち現われてくるのだ。
 ゆえにイデオロギーとか体系的説明では世界は捉えられない、そういう考え方に対して判断中止を加えることで人々の心のなかでイメージが勝手に動きだす。それを捉えるほうが、世界を捉えるのより有効な方法であるといった思想がヨーロッパだけでなく世界を席巻した。
 言い換えれば、過去からの断絶、価値観の変換、解体が試みられた前衛の時代なのである。

 絵画においては、未来派やダダにみられるコラージュ、モンドリアンやシュプレマチスムに代表される「抽象」という方法が編み出された。コラージュとは、様々な要素を組合せることで、それまでの絵画に重くのしかかっていた表現の規則、論理、形而上学から逸脱しようとしたものであり、より一般的に言うなら、統合の法則に対する根本的な疑問を発端としている。抽象は、それまでの模写に通ずるような認識とはまったく異なる認識を示している。モンドリアンの絵は、最終的にグリッドだけで構成されるコンポジションに到達し、そこには、何ら具象的な存在を寄せ付けない直線の美しさ、それだけが強調されている。

 逸脱というなら、未来派において一つの極限を見ることが出来よう。1909年にイタリヤのマリネッティが「未来派創立宣言」を発表したことに始まる未来派は、文学、芸術、映画、写真、音楽、演劇、建築、料理、ファッション、戦争、乗り物、日常生活、政治といったすべての領域にわたる大運動であった。
 これは、運動や雑音、速度を愛し、20世紀文明を賛美し、19世紀に大いなる別れを告げる一つの試みで、テクノロジーに対する信頼と、そのスタイルは現代にも通ずる点が多い。しかし、この未来派運動は後に、イタリアファシズムの基盤となるもので、その繋がりには注意しなければならないが、その繋がりをきちんと見つめておくことは、同じ結果を繰り返さないためにも重要だろう。

 しかし、巨視的に見るなら、何かそれ以前のものを否定し、新しいものをつくる運動のあとに、ファシズム、第二次世界大戦といった破壊が待っていたことに注目しなくてはならない。

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