空間そして平面それも楽観的に(4)日本のモダンと反動
日本においても、同様のことが言える。
明治維新以来、富国強兵の掛け声のもと、西洋の文化、技術、言い換えるなら「近代」を急速に輸入し発展した日本は、物質的、表面的には西洋に追い付き、大正時代になると、それまでの忙しく文化を吸収するだけではなく、当時「モダン」と呼ばれた一種のライフスタイル重視の生活が営まれだした。これには、明治維新において突然民衆の前に姿を現わし、統合の中心として細部にまで及んだ「明治天皇」が死んだという側面もあるかもしれないし、第一次大戦において「勝利」したことにも関係があるだろう。
言い換えるなら、明治時代の分を守ることを美徳として疑わなかった大衆は、風俗という社会的皮膚に、抑圧されていた欲望を浮かび上がらせたのだ。1920年代の日本は、いわば表層の時代の真ん中にいたと言えよう。
しかし、こうした風俗に対し、やはり反動の動きがでてくる。
一つには、軍部の政権掌握であり、もうひとつが、京都学派、日本浪漫派、「文学界」同人らによる「近代の超克」論である。これは要約するならば、日本回帰であり、天皇制の全面肯定である。
しかし、西欧のように超越的な王がいて、その臣民を支配するといった単純な構造を持たない天皇制は、そうした強固な上下関係を持つのではなく、水平的に包括するようなソフトで真綿に包み込む(これでも十分に抑圧装置としてはたらく)、構造とも言えないようなシステムであり、これは現代良く使われる用語を使うなら「ポストモダン」な支配構造なのである。
つまり、「近代の超克」は、現在良く言われる「ポストモダン」の先取りであり、このことを検証せずして、ポストモダンを語ることは危険である。「近代の超克」の結果何が起こったかについては言う迄もあるまい。

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