2009年1月12日

空間そして平面それも楽観的に(6)反復

 ほとんど暴力的に三つの時代について素描してきた。
 そこから、見えてくることは何だろうか。もちろん、まったく時代は違うし、その下部構造は18世紀と20世紀において明らかに違っている。しかし、そこから何か一つの構造を引き出すことが出来るなら、それは、ポストモダンの反動性を検証し、その可能性を探る一つの出発点になるに違いない。そこで、以上を踏まえ次のような図式をいささか強引に提起してみたい。

1 絶対的価値観の時代
2 相対的価値観・記号ゲームの時代
3 反動の時代

 これら三つの時代は、順序良くやってくるのを特徴としている。しかし、このことを認めてしまうと、我々はどうしようもない袋小路に追い詰められていることになる。では、どうしたらこの循環から離脱することが出来るであろうか。このままでは、次の反動期(もう始まっている?)、破壊は人類をも滅ぼしてしまうかもしれない、いや、滅びることよりももっと悲惨な状況を招いてしまうかもしれないのだ。事態は急を要する今こそ、新しい線を引くことが重要ではないか。

 その時、注目しなくてはならないのは、いわゆる「現代思想」の提出する問題群である。それは、「近代」を全面的に問い直し新しい地平を拓くものであり、可能性への真剣な努力であると考える。言語、科学、宗教、芸術、資本主義、歴史、批評、戦争、あらゆる領域において、その試みは展開されている。統一的理論といったものは無く、様々に飛びかい、交差するその姿は「記号の戯れ」を身を以て体現するポストモダンな現象に見えるかもしれない。しかし、現代の思想は、今この現代それ自身を体現しているのであり、上に示した袋小路から逃れる方法の出発点はその中に秘められているに違いない。

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