空間そして平面それも楽観的に(9)ウイルス
ところが、大きな動きとなりそうなのが「コンピューターウイルス」の問題である。
自由な情報アクセスがこうしたコンピューターネットワークの利用価値を高め、自由で開かれたコミュニケーションを可能にする。ところが、コンピューターの内部に侵入し、そのプログラムをメチャクチャにする「コンピューターウイルス」は、こうして開かれたネットワークであるが故に、全世界的に波及し、最近アメリカにおいてかなりの被害をもたらした。それへの対抗策として、いくつかの試みがなされているようだが、ここでいちばん注意しなくてならないのは、この開かれたネットワークを逆に閉ざしてしまおうとする動きである。ネットワークの分断された端末は、単なる箱にすぎない。これでは、開かれたコミュニケーション空間としてのメディアテクノロジーを完全に無化する反動的策動といえよう。
しかし、このコンピューターウイルスというのはなかなか面白い。と言うのも、内部に侵入し、それを破壊する。外側から攻撃するのではなく、内部に入りこみ攻撃する。そのことに関して、少し考えてみたい。
人間というのは、動物が本来持つ「本能」の壊れてしまった欠陥動物であり、その「欲望」は、まったくもってどこへいくか分からない多様な流れを持つ。ただ、こうしたメチャクチャな「欲望」をある一定の規範(コード)にまとめてあげ、今までの社会(と言うより共同体)は、成立していた。
贈与の円環を描くコード化の段階、超越的な王、神、父に収斂させていく超コード化の段階。そして、他人、それも身近な他人をモデルとして、それに対し追い付こうとする、そして、追い付いたならば、またその先にモデルを見いだすという形で、競争過程のなかに「欲望」をおりこんでいく脱コード化の段階。こうしたモデルと自分が、内面化された形、それが監視し合う自己であり、言い換えるなら、近代的主体といっても良い。恐ろしいまでに、あらゆるものを飲み込む構造とも言えないこのシステム。この最後の段階が、資本主義社会と呼ばれる段階であり、今はこの真っ只中にいると言えよう。しかし、この悲劇的状況からいかにして脱出するのであろうか。

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