近代の超克とポストモダン
まず最初に断っておかなくてはならないのだが、「近代の超克」は必ずしも、戦争とファシズムのイデオロギーにもなり得なかったことである。
「近代の超克」は、雑誌「文学界」が1942年9、10月号に掲載したシンポジウムにおいて使われた用語で、何かきちんとした理論構築があるわけでもなく、一種符丁のように使われただけで、内容は無いよう。
この座談会に出席した人間がそれぞれ勝手に思い、「共通する感じ」とか「ピンと来る」、ただそれだけで投げ出された言葉である。それこそきわめて狭い共同体の中だけで通用する言葉だ。しかし、この無内容さゆえに、勝手に流通し、「近代の超克」という言葉だけが戦後も何度か頭をもたげ、今になっても、その言葉を使わないが、反省なく同じことを繰り返す愚行が起こっているのだといえよう。ところで、その出席者を紹介しておこう。まず、「文学界」同人、小林秀雄、亀井勝一郎、林房雄、三好達治、中村光夫、河上徹太郎、哲学の西谷啓治、下村寅太郎、歴史の鈴木成高、科学の菊池正士、神学の吉満義彦、映画の津村秀夫、音楽の諸井三郎。哲学の西谷、歴史の鈴木、出席していない高山岩男、高坂正顕の4人がいわゆる「京都学派」と呼ばれる人々で、都合のため欠席している保田与重郎に代表される「日本浪曼派」に河上と亀井あたりがあげられるであろうか。
そこで、いわゆる「京都学派」の理論を簡単に見ておこう。この4人は、西田幾多郎、田辺元の弟子であり、彼らの思想の出発点はそこにあると言っていい。だからと言って、それがまるまる西田の思想であるかとはまったく別問題であり、西田と「京都学派」を同列に扱うことは正確ではない。しかし、「京都学派」の思想の雛型はそこにある。では、西田を使って、その論理を素描してみよう。
まず、西洋と東洋を対立させ、西洋を<有>の論理、東洋を<無>の論理として規定する。西洋は、闘争と対立の世界であり、そうした衝突や葛藤、矛盾がぶつかりあいその中から、ポンと飛び出した上位のもの、それが結論として機能する。人為的で、垂直的支配な、主語「私は...」の世界。それに対して東洋は、あらゆるものを包み込む和の世界であり、それは共同体主義、対立はなく、ほとんどナァナァで済ませてしまう。自然的で、水平的包摂の、述語「(?)が...する」の世界。
東洋においては、国家(全体)と民族(個)の関係は有機的に調和され、個の集合が全体でも、全体の部分が個でもなく、それらがすっぽり膜に包まれるように一つになる。これを、絶対矛盾的自己同一とする。一種、「自然の生態系」をモデルとした思考といえよう。つまり、はっきり言ってしまえば、皇室がアジアをすっぽり包み込む、それこそ「大東亜戦争」の大義であり、東洋が西洋に対してけしかけたこの戦争の「歴史的」意味だとする。大東亜共栄圏の発想であるが「絶対矛盾的自己同一」など、何も言ってないに等しいではないか。
保田に代表され、三島由紀夫に通ずる日本浪曼派は、近代批判をしながら、近代に対抗する方法として、空虚なものに飛び込もうとする。それは、どこに着くとも分からず、まったく無意味だからこそ、魅力的でかっこいい。一種、ニヒリズムの極限形態として出てくる。ある意味、彼らの小説はほとんど何も言っていない意味の無い記号の羅列であり、それは「なんとなく分かる」小説、共同体内部におけるナァナァ主義の小説である。
と言うより、まったくもって何を言ってるのか分からない、ひとりよがりの空虚な思想が「近代の超克」の特徴である。ところが、こうした思想は、それまでの近代国家の概念をも破壊し、国粋主義とも違う「国際的」装い(にすぎない)をまとった思想、ただし絶対的に「他者」の視点の無い、アジアがそれをどう見るかを不問にした内側にしか通用しない勝手な空論であった。
ところが、こうした「国際主義」を装った共同体思想は、現代に於いてもほとんど焼直しの形を取って、立ち現われてきた。「新京都学派」である。梅原猛の「和」、上山春平の「凹」、梅棹忠夫の「生態史観」、今西錦司の「種社会」、河合隼雄の「ユング−中空」。これらは、すべて何か物と物の間、関係に注目し、西欧において言われるところのポストモダンの思想を彷彿させるような形態を取っている。「新京都学派」は、まっとうな意味での「ポストモダン」の提出する問題群に触れず、それがまったく無かったかのように「近代」を批判する、あるいはポストモダンと自分たちを同一であるかのごとく振る舞う。その意味に於いてのみ彼らはポストモダン論者だが、それはきわめて危険な道であることは言う迄もない。そこに欠けているのは、「外部」である。
共同体とは内部であり、共通のコードをもって閉じられたシステムなわけだ。しかし、社会=外部は違う。もちろん、内部/外部と言うとき、一本線を引いて二つに分け、こっちが内部、あっちは外部といったような図式で捉えてはいけない。内部/外部の区別の無い絶対的外部、そこへ出ること。コミュニケーションの問題。例えるならば、言葉の違う外国人を想定すれば良い。一見コミュニケーションは不可能に思えるかもしれないが、本来こうした関係こそがコミュニケーションではなかったのか。社会とは、共通のコードをもたない他者との交通において成立する空間である。しかしこれはどこかに実体的にあるのではなくて、絶えず結合され分断されながら無方向に広がるネットワークのようなものだ。
ポストモダンと言うとき、「モダン」が西欧から流入した事象であるからといって、すぐに日本対西欧の対立の図式に持ち込み、日本回帰をはたすようでは、まるっきり「近代の超克」と同じではないか。つまり、西欧を外部とし、日本を内部とする、その虚しい構図を突き崩さねばならない。もっと開けたコミュニケーションの空間そして平原を。

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