横浜の身の丈に合ってきた4回目のトリエンナーレ
毎回会場の変わる「横浜トリエンナーレ2011」(11月6日まで)が開催中だ。4回目となる今回のメイン会場は、横浜美術館と日本郵船海岸通倉庫(BankART Studio NYK)の二つ。

テーマは、「Our Magic Hour 世界はどこまで知ることができるか?」。「世界」という割には、作品全体の印象はこじんまりとしている。「セカチュー」の流行以来、世界は狭くなったのだろう。
いずれにしても、2001年の第1回横浜トリエンナーレから、もう10年たったことにびっくりする。巨大なバッタや、大きな泥だらけの服、コンクリで固めた水槽に滝、膨大な塩を固めた作品、運河に浮かんだ銀色の球など「虚仮威し」と言ってしまえば、それまでだが、新しい世紀が始まった期待のようなものが、1回目展にはあった。
それから10年。
越後妻有だけでなく、日本各地で「トリエンナーレ」、「ビエンナーレ」が開かれるようになる。民主党政府の事業仕分けで、国際交流基金が主催から外れ、横浜市が事業主体となり、「ナショナル」な「トリエンナーレ」でも無くなった「ヨコハマ」。会場も、美術館となり、横浜市の身の丈にあった展覧会になったように思う。
もちろん、今回もいくつか「蒙を啓かれた」作品はあった。幸いにも日本人作家で印象に残ったのは、横尾忠則、戸谷成雄のベテランだけで、あとは海外からの作品がしめる。
美術館というハコのせいか、横浜美術館よりも日本郵船倉庫の作品が面白い。デワール&ジッケルは、美術館にある作品より、倉庫の巨大な土のカバの質感と、崩れ具合がいい。艶っぽいのだ。

カールステン・ニコライの霧と光の部屋は、涼しげでこの季節にぴった。視覚だけでなく、肌にあたる触覚がいい。

リヴァーネ・ノイエンシュワンダーの文字を使って遊べる作品では、粉ワサビの香りが漂い、お寿司が食べたくなる。

ヘンリック・ホーカンソンは、倉庫の建物を上下に貫く作品で、3階の巨大な倒木(緑がきれい)に驚かされる。

1階のカフェで地ビールをいただく。ぐびぐび、うまい。

横浜美術館では、ダミアン・ハーストはチョウの羽を使った教会のステンドグラウスを思わせる作品が壁にかかる。隣のマッシモ・バルトリーニの「オルガン」(音楽を奏で続ける)とあわせて、芸術の礼拝的価値に気付かされる。


ライカン・ガンダーのガラス玉は緊張感が漂う。

ところで、日曜日だったせいもあるし、オペレーションがうまくいっていないのかもしれないが、横浜美術館のチケット売り場には行列ができていた。
1回目のパシフィコ横浜で、チケット売り場に行列ができたのは、混雑が始まった最終日に近い週末だけだった。4回目になって、定着し親しまれてきたようで嬉しい。
両会場のほか、関連イベントの会場を結ぶシャトルバスも頻発して、とても便利になった。「ヨコハマ発、現代美術の祭典」と銘打つイベントでは無くなったとしても、末長く続けて欲しいものだ。

さて5回目は、横浜美術館で見ることができるのだろうか。
